「不登校は親の責任」と発言をすることに対して

コラム

子どもが不登校になり、なんとかしようと必死に頑張っているときに、検索すると出てくるこのワード「不登校を認める」「ありのままを認める」これっていったいどういうことなのでしょう。

私は不登校を認める?には至っていないかもしれませんが、まずはこの子を健康にしようと「うつ消しごはん」を実践中です。身体の調子もよく機嫌もいいのでうちには効果ありのようです。

※更に工夫していることもどんどん増えていますのでまた順に足していきますね^^

どんな方法でも、私たち親は我が子の幸せを願い必死にトライして頑張っているのに、下記のような発言する人もいます。不登校に対して何をどう思おうがその人の自由なので構いませんが、親たちが怠けて子育てをして、だから子どもが不登校になったなんて私は思っていません。それどころか、この状況でも今のこの瞬間も私たち親は必死になんとかしようと頑張っているんです。

大変だったですね。そんな一言があるだけで心は救われるのに。子どもが不登校になってどうして苦しいかと言うとそのことに第三者の理解があまりにもないから。やっぱり「甘え」や「怠け」だと思われ、余計に孤立し余計に苦しいんです。

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「不登校の責任の大半は親にある」などと滋賀県東近江市の市長が発言したことをめぐり、フリースクールの運営団体が発言撤回を求め、署名活動を始めています。  署名活動を始めたのは不登校の子どもの支援を

考え方はそれぞれなので構いません。人は自分とは違う考え方や感じ方をするものだと知ると(不登校は親の責任なんて発言されたら嫌な気持ちにはなるけれど)私とは違うな、あわないなと思うだけで意外とすみます。

なんでもどちらが正しいか。それは見る方向で違ってきます。100%を求めたら苦しいばかり。違う価値観の人、違う環境の人、その人の気持ちをお互いに理解しようとする心があることが望ましいと思っています。

不登校の解決法だって100%なものがあればこんなに多くの人は苦しんでいません。全ての人を救う方法があるならば教えてほしいものです。

どんな状況でも自分の考えと同じ人も違う人もいてその正しさの基準は自分とは違って。苦しくて悔しいけれどそれでもそのことを理解する心がお互いにあれば争いにはならないと。

子どもの不登校でそう考えられるようになりました。不登校なんてない方がいいけれどもしこの経験がなかったら私も同じ発言をしていたかもしれません。

だから悔しい時は同じ気持ちの仲間と一緒に悔しがりましょう!一緒に怒りましょう!一緒に叫びましょう!その気持ちを我慢せず仲間で共感しあいましょう。それも不登校を認めるになると私は思います。苦しさや悲しさも含めて不登校ですから。

考えが違う人にぶつけなくても考えが違う人に改めてもらおうと矢印をその人に向けずに、私たちには仲間がいます。ひとりじゃないからね。

分かってくれる人もいて

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活動をしている人もいる

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