不登校になり全く外に出なかったけれど、近くのコンビニとかには行くようになった。とか。趣味の集まりには行くけどそれ以外は全く外出しないとか。そんな「学校にはいかないけど外には出る。引きこもりではないんだけど」そう思ったことありませんか?私はそう思っていました。
外に出るなら引きこもりじゃない?
厚生労働省の引きこもりの概念
「ひきこもり」はさまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態のことをさします。
これは,なにも特別な現象ではありません。何らかの理由で、周囲の環境に適応できにくくなった時に、ひきこもる」ということがありえるのです。
とあります。これを柔らかく言うと、「外に出ていても引きこもり」なんです。
引きこもりとは
学校や就労などの社会への参加をしない。そのために家の中から出ない人。そのために、とは出たとしても、自分の用事(買い物や趣味のため)や特定の外出だけできる。その状態が6ヶ月以上継続することを「引きこもり」としています。
特定の外出とは「家族とだったら」と「車で別の県に出れば外に出れる」とか「食事のため」とか学校や仕事のためではなく、ある条件を満たせば外に出ることができる状態です。
学校はいいからバイトくらいすれば
学校はもういかなくていいから、バイトして楽しく過ごしてほしい。そう思ったこと・・あると思います。私もずっとそう思っていました。自分で稼いで好きなことをしてくれたらもうそれでいいと。これが不登校を認めるだとも思っていました。
学校にいかないことを許すことが認めることではなくて、学校や社会に参加しないことが一括りでした。好きなときだけ出かけられる。親と車でなら行ける。これはまだまだ「引きこもり」の定義に当てはまります。
動けるときは何でも動けるようになる。怖いよりやりたいが勝つ時がくる。これはできてこれはできない。そう言っている間はまだまだ心は辛い時です。
引きこもりには理由がある
引きこもるのには理由があります。それは本人にだって言葉にできないこと。なぜだかわからないこと。外に出ることに懸念/恐れ/憂慮/取り越し苦労/杞憂 し心や身体が危惧します。
※「危惧」・・・気にかかって、心が落ち着かないこと。
無理やり出せば、美味しい話で誘えば、きっと出てきて元気になるなんてそんな簡単なことではありません。私達親がどんなに理解できないことだって、むやみに踏み込んではいけない領域があります。
引きこもりにも種類があり、疾患症状や機能的問題が加わっている場合、どこに相談をするのか見定める必要があります。
不登校から引きこもりの割合
不登校から結果的に引きこもりになる割合は内閣府の調査によると・・・2割だとしています。8割は引きこもりになっていません。時間は少しかかってもまた動き出す日を8割の人が迎えています。不登校は今の状況を表している言葉(表現)。必ずしも悪い未来へつながるわけではありません。
今は辛いけど、悲しいけど。何もしていないのは、何でもできる可能性があるから。人と比べず自分は自分色のハッピーエンドに向かおうね。
ハッピーエンドにむかって何にトライしようか?