嫌な自分となりたい自分

コラム

変わりたいのに変われない。認めたいのに認められない。こんな自分が嫌。公式ラインにそんな言葉が多く届きます。

嫌な自分に苦しんで、変われない自分に苦しんで。そんな言葉を書いてくれるママさまを、私はなんて美しくて愛おしい姿だろうと思います。ついお返事を送りたくなりますが、グッと我慢してスタンプを1つ送っています。

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「嫌な自分」と「なりたい自分」は真逆で遠くて、どうしたらいいのか分からなくて苦しくて。そう思いがちですが、その2つは同じものだと考えてみたらどうでしょう。

嫌な自分から逃れたいときに行うことが「解決に向けての努力」なりたい自分に近づくために行うことが「目標達成のための努力」

例えばもう少し痩せたいと思っている人が「太っている自分が嫌」と始めるのもダイエット。「憧れの人みたいになりたい」と始めるのもダイエットです。

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ダイエットをする時に「ただただ痩せたい」に焦点をあわせると、無理なことをはじめてしまい長続きしません。「憧れの人」に近づくためには同じ美容法をしようするけれど、そのサロンが近くになかったり、使っている美容用品が高かったりすると、「私には買えないし」と諦めてしまいます。

どうして「太っている自分が嫌なの?」どうして「その人に憧れて痩せたいの?」心を奥を見つけないまま痩せようと頑張ってしまうと、「痩せる」が目標になってしまって、痩せられない自分に落ち込んでしまいます。

自分が嫌で変わりたいときも、どうして自分が嫌なのか。子どもを認められたらどんな自分がいるのか。認められたら本当に悩みは解決するのか。変われば悩みは解決するのか。

どうして変わりたいのか。どうして認められるようになりたいのか。そう思ったら「どうして認めないといけないの?」と考えてみてくださいね。どんどん自分で自分に聞いてください。

※内部対話の記事↓↓

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どうして子どもを認めるようになりたいのか自分に聴いてみましょう。

「例」どうして認めないといけないの?→他の子と比べてイライラするから。→その他の子って誰?→息子の同級生→その人達がみんな幸せなの?→そう見えるだけかも?→でも羨ましいんだもん→どんなところが羨ましいの?→学校の用事とか子供の将来とか私もママ友とか職場の人と話したいもん→そのために学校に行けばいいの?肩身が狭いから?→ずっと子どもの話をしているの?うちは学校言ってなくてねとは言えないの?→言えないよ。恥ずかしいし、バカにされそうだもん→そんな人と仲良くなりたい?→そんなことはないけど、少ない人数だから仲良くしたいし→本当にバカにされるの?→わからないけどきっとそう→私は可哀想なの?→きっとわかってもらえないもん→

掘り下げていくと、子どもが学校に行かないことで居心地が悪い職場に焦点が変わってきます。これはあくまでも例なのでもちろん心の言葉は違って当然です。

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子どもが不登校でも職場の居心地がよければ?ママ友との付き合いはそうまでして必要?など新しいことが悩みの根っことして出てきます。子どもが学校に行くことと、自分が今置かれている悩みの本質は同じとは限りません。羨ましくて当たり前。苦しくて当たり前。ここから逃れるために子どもを認める心がほしいのなら、ただただ逃れる選択だってできるはず。逃れるために認める心を得るのではなく、そうか・・・自分が苦手な世界で生きていくのはこんなに辛いことなんだ。と知ってあげること。同じように苦しいそのことが認めることに繋がっていきます。

縁や義理を手放してみたらどうだろう?

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