子どもが不登校になると
早かれ遅かれ
アドラーの教え「嫌われる勇気」と
出会います
私も衝撃でした
不登校を語る時
「課題の分離」という言葉を
見たり聞いたりしたことが
あると思います
子どもの問題と親の問題の
切り離し
それは誰の問題なのか
親が頑張っても
どうにもならないことがあると
学びました
この課題の分離は
あまりにも有名なのですが
私は嫌われる勇気にある
アドラーの一文で
もっと好きなものがあります
それは「トラウマは存在しない」です
これは決してPTSDそのものの
実在を全否定したというわけではなく
だから頑張れよ!
前を向けよ!ってことでも決してなく
私がメルマガなどにも書く
「工夫」の話だと私は解釈しています
これママカウンセラーさんではなくて
カウンセリングを職業としている先生に
教えてもらったのですが
○○はできない。だってうちは○○だから
✕✕は無理なんです。この子は△△だから
ひどい!うちは□□だから無理なのに
と訴える時は
前に進むことに抵抗があるとき
過去や環境での
仕方ない自分、可哀想な自分を
前に出して心を守ろうとするそうです
そんな時は少しずつ
同じ目を向けるなら
原因ではなく目的はなんなのか
なぜではなくて
なんのためにと目的論で
話していくといいですねと
教わりました
(※先生によっては全てにおいて
見解や解釈は違うと思います)
例えば不登校対策で
お父さんの協力の話をしたときに
「うちはシングルなんですが」と
(できない人もいいるのよ!と)
目くじらをたてたり
「うちはシングルだし」と
(シングルに理解ないのねと)
落ち込んだりするのと
「だったら今の私のできることはなんだろう?」と
原因に悩まず
目的のために考えるのでは
結果が違ってきますよね^^
言葉で書くと簡単そうですが
実際は難しかったりします
だからその気持ちが出た時は
そんな自分を嫌にならず
原因や環境に心を支配されないように
していきたいなと思っています
子どもに未来を望むなら
まずは私から
誰にも言っていない過去があるけど
だからって幸せになることを
怖がらないように・・
一緒に頑張らせてください
なんのために子どもを元気にしたいのだろう?
私はなんのために「できないと落ち込む」のだろう?