子どもの不登校。今日は学校に行くという息子を置き、仕事に行くも帰ってきても動いていない靴にぐったり。そんな経験ありませんか?私は山程しました。
つい願ってしまう「そこ」
そんな日はまず仕事にならない。行っただろうか。行けなかっただろうか。学校に電話してみようか。学校に今日は行くと行っていたと伝えるべきだろうか。子どもに連絡してみようか。お昼から年休をとって帰ってみようか。
モンモンとするなか心のなかで、どうか神様。息子が学校にいけますようにと願っていた私。神様にお願いするところが違っていたようです。
願うのはここ
願うのは「どうか神様。帰って学校にいっていない息子を見て大きく落ち込みませんように」なんですね。不登校の子どもを持つと「相手」ではなく「自分」に焦点をあわせるように学びます。例え神様相手への願いだって「私」のことを願わないとですね。
神様だって忙しい
そしてやっぱり神様も忙しく、急には願いは叶えてくれないから、「自分」で願いを叶えるように心がけることが大事です。
※子どもが学校に行っていないんだもん落ち込むのは当たり前
※落ち込まないようにするなんて難しいから
※なんとか和らぐ方法をみつけよう
そんな気持ちで過ごしたほうがいいみたい。
我慢するそのパワーを何に使おうか