自己紹介をお願いします
こころ🌱と申します。家族構成は、大学1回生(2大学め)の22歳の娘。就職した18歳の息子。夫、義父母と3世帯同居です。娘の不登校から、息子の不登校を6年間経験しました。
お子さまのことを教えて下さい(初期)
娘は、高校1年3学期から、家庭問題をきっかけに、朝起きれなくなりました。どうにか1学年を終えましたが、月を追うごとに目は死んだように、表情もなくなり「学校に行きたいのに行けない」と自分を責め、そうして学ぶ事が大好きな娘だったのに、愛犬の散歩すら行けなくなり昼すぎに起きてゲームをするだけでした。
息子は、小学校高学年からのスポーツで、いじり、からかい、いじめをうけていたらしく、中学2年夏、先輩達が部活を退いたタイミングで、同級生ばかりになった事に我慢の限界がきて退部しました。
姉を見ていたから、学校だけは行くんだと言っていましたが、中学3年になり頭痛がひどく保健室で休む事が多くなり、とうとう中学3年の7月朝起きれなくなりました。
2人とも起立性調節障害と偏頭痛の病名がついています。
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初期に不安だったことはなんですか?
娘の時は、初めてでしたので青天の霹靂でした。勉強もスポーツもできて、心もきれいなのに行けなくなって、不登校→引きこもり→人生真っ暗→親が亡くなったら娘はどうなるの?みたいな。不安より恐怖かな・・だから、手を引っ張ったり、おんぶしたり、マッサージしたり、音楽鳴らしたり、朝から、起こす為に必死でした。
先生から電話してもらったり、迎えにきてもらったり、これは、起立性調節障害だから、きっと病気が災いしてるんだわ。と漢方内科に受診させたり、学校へ行かせる為によいと思うことは、一通りしたんではないかな・・・
息子の時は、娘の経験があったので「休む事の大切さ」は分かっていました。そして、教室に行けない息子が、適応指導教室の先生と面談した時のことでした。
いじめは、手も出ていたという事を、息子の口から聞いた時に、心がえぐられました。そして、言えなかった息子の辛さに、私は、どうして気付いてあげられなかったのだろうと、心が痛くて痛くてショックをうけました。同時に、そんなやつらのいる中学校なんて行かなくていいと本気で思いました。
だから高校入試に向かう大事な学年でしたが、担任の先生とは、適度に私がやりとりをして、息子の状況を伝え、息子の負担をできるだけ避けました。
ご家族との関係はどうですか?
私の父母は、とても理解があり、先の未来は、絶対大丈夫と言ってくれてました。反対に夫は、子育てには関与せず仕事ばかりで、娘の不登校の時の問題の発端でした。
義父母には、100回位、起立性調節障害や不登校についてを、何度も何度も説明し、子供達を、長い目で見守ってください。と説明しました。でも、何かにつけ、夫が仕事ばかりするのは私のせい。子供達が学校行かないのは私のせい。子供達がゲームばかりして遅く寝るのは、母親の躾が悪い。もう、非難ばかりで娘の時は、私10kg痩せました。
子育て、家事、仕事、夫や義父の不愉快に毎日が辛かったですね。よく生きてたなと思います。
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お友達や学校とのことを教えて下さい
うちの子は、2人とも、とっても優しくて、人の気持ちを読みます。だから、少々嫌なことでも、にこにこしているから、嫌だ~と思っているけど、相手には、それが分からない。
息子においては、勉強やスポーツができるという訳でもなく、体も小柄だからか、バカにされたり、手を出されていたり、それがいじめにつながりました。
娘は、家庭問題で不登校になったと思っていましたが、実は、きっかけでしかなく、小学校からの嫌な同級生からの言葉や、裏表のある女子学生特有の汚い心に疲弊していったようです。
心を許す友達は1人ずついたかな。不登校になっても誘ってくれてた友達がいましたが、基本、連絡をたっていました。
学校とのやりとりは、毎朝の欠席連絡が苦痛でしたね。あとは、学校の先生に頼りつつ、連携をとることを心掛けてました。
それは、子供に見てくれている先生達もいるんだよという事を感じて欲しかったから・・・
ママ友や職場の方とはいかがでしたか?
ママ友は、親身になってくれる方がいてその方には話す事ができましたね。でも、基本私は、人には悩みを話さないのでめちゃくちゃ苦しかったです。もちろん、職場では責任ある立場ですので、プライベートは話せなかったですが、雇主の奥様には、急な休みもある為、状況をお話ししましたら、とっても分かってくださり今でも感謝しています。
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こころ🌱さんが変わったきっかけはありますか?
娘の時、私の妹から、言われた言葉かな。「あのさ、姉ちゃんは、勉強やスポーツもできて、可愛い娘だから好きなん?学校行けない娘とどう違うん?娘じゃなくて、姉ちゃんが病んどるわ!!」ってね(笑)私ね、ガツーンときました。学校行っても、行かなくても大事な大事な娘なのにね。ここで、原点に戻れました。
息子の時は、アメブロに出逢い、ブロ友さんに出逢い、「愛」をもらって♡♡講演会に足を運び、たくさんの学びや気付きを得ました。
そして出逢ったyukiちゃん。久しぶりの不思議な人間感覚の方(ちょっぴり霊感的な私なので)とっても惹かれました。yukiちゃんとの対面でのお話しでは、自分の事、丸ごと言えたんです。そして、数々の言葉達が腑に落ちて、なんだか不安が解消されていったの。
お子さまが変わったきっかけを教えて下さい
娘も息子にも、ただただやってみたいことをできる限りさせてきました。昼夜逆転、ゲーム三昧、趣味の数々、美味しいもの食べに行く。それらが、今の2人につながっています。
でも、最終的には「私が私を分かってあげたこと」かな。
その事で子供達と父親の関係もよくなったし、「お母さん、楽しそうね」って言われるようになって、「お母さんが楽しそうだとすごく安心する」って言われて。私自身も、学校より子供の笑顔を1番に考えるようになりました。そうしたら子供達も少しずつ元気になりましたね。
あ~、これがお母さんが元気になると、子供も未来へ向けて動けるようになる!って事かぁって思いましたよっ
お子さまたちの現在を教えて下さい
娘は、進学校→高校2年生の後期、通信制高校へ転学→1校目の大学卒業→現在、医学系大学1回生。(ここで、問題発生。大学の雰囲気が高校生の時のトラウマ発動させ超ブルーに)→でも今は、勉強が楽しくトラウマ払拭された(トラウマを乗り越えた!?)
息子は、中3から不登校→一念発起し、全日制高校入学するが、いじめにより、高校1年生後期に通信制高校へ転学。なかなか登校できなかったのですが、先生の作戦会議のおかげで→奇跡にして!2年半で3年分をクリアし今春、高校を卒業致しました3年生後期では、毎日通学しました。
今年4月から就職。親元を離れ、自炊もし、仕事に奮闘中です。(4年間の内、3年は、お家生活だったのに急に驚異的な体力だ)
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今お悩み中の保護者様へメッセージをいただけますか?
この6年間、私の人生の中で、~すべきという概念が崩されました。私の中での「あたりまえ」それは、子供達の人生をも駄目にする。いや・・正確にいうと、子供達の生き方を、奪ってしまうところでした。
私達は、学校があたりまえで、社会の構造も、個性が大事と言われながら、みんなと同じに行動していないと、認められませんよね。世の中は、変わりつつあると言っても、まだまだだと私は思います。
私が、楽になりだしたのは『話すこと』が『放すこと』『離すこと』に気付いたから。幼少期からの固く閉ざされたた心の蓋は『話すこと』で開放されていき、自分がどう生きていくかというところまで行き着きました。
信頼できる方達とつながるには、まず、1歩踏み出してみるということも、大切かも。
私も、そんな居場所のひとつになれたらなと考えています♡♡
こころ🌱さん。貴重なお話をありがとうございました
こころ🌱さんは、私がインタビューを最初にしたかった方。私の方からお願いさせていただきました。こころ🌱さんのお子さまはW不登校。性別も年齢も性格も違い、対応も容易ではなかったと思います。「まわり道は最大の幸福」と日々のことがたくさん綴られた「こころ🌱さんのブログ」も是非あわせてご覧ください。
こころ🌱さんのブログ→→まわり道は最大の幸福