自分は上じゃないよ

コラム

子どもの不登校。「子どもにどう声をかけたらいいですか?」「どうやったら動くようになりますか?」公式ラインにこうメッセージが時々届きます。公式ラインではお返事は基本お返ししていないので(追いつけないのでごめんなさい)言葉をなげていただいたら、ここで記事にあげていきますね。

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子どもが自分から「お母さん。僕は学校に行きたいよ。戻る方法を一緒に考えてほしいんだ」そう頼んできたのならまた話は変わってきますが、子どもを心配するあまり、子どものことを思うあまり「どうしてあげたらいいのだろう」一方的にそう思った時、(※親としてあって当たり前の感情だと思います。こう思うことを責めていないので悲しく思わないでくださいね)

どうしてあげたら。そう思った時自分の立ち位置はどこにあるでしょう。子どもの横?下?これが上にあると感じる時があります。

自分が支えてあげる。自分がナビしてあげる。自分がなんとかしないと。一見一歩引いたサポートのようですが、実際は自分のほうが能力が上にあると感じています。私がなんとかしなければ。私がなんとかしてあげたい。と。だって私達は大谷翔平さんに「どうしてあげたら」とはなかなか思わないですよね^^

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「輝け!お寺の掲示板大賞2021」でお笑い芸人の「笑い飯」哲夫賞に選ばれた言葉。

「私の物差しで問うのではなく私の物差しが問われる」

仏教の教えは、他者の行動やあり方を問うためではなく、自分の物差しを問うために存在しています。自分の物差し(価値観)が果たして適切なのか、仏教を通して常に問い続けていきましょう。↓引用「お寺の掲示板」より

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※この本面白くて好きなんです^^

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2の江田さんの法語では、自分の物差しで周囲に対して価値判断をすることは非常に容易だが、自分の物差しに疑問を持つことは非常に困難だとしています。

私は息子が働くなら医療系がいいと思っています。休みは多いしお給料もいい。年取ってもできる仕事で外の肉体労働は辛そうで。と勝手に思いつい、医療系に進むように話しているときがあります。自分の価値観を問う時、「これは私がその方が息子のためだ」と勝手に思っていることだと気付かされます。

私の物差しでこれが正しいと思っていることを疑問に持つのは難しいことです。時にこのことに打ち崩れたり驚愕したりしながら自分の内面を知る。そのことで自分の物差しを捨てたり、今までよりもっとうまく利用したり自分を成長させていきます。

人からもらった答えよりも、自分で気付くほうがいいですよね。それは子どもだけに限らず私達親もそうなのです。

自分は決して上じゃないし、学校に行っていない子どもは決して下じゃないからね^^

あなた物差しではなにが正しいこと?

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